ちょっと今回は「偏っている」かもしれない話になりますが
率直な意見ですので、ご了承ください。

この記事の根底にあるのは
「俺はお役所仕事やお役所的言動をする公務員が嫌いだ」って話です。
いままでいくつかお役所相手に仕事をしてきたことの結果論です。
この不信感に似た気持ちを和らげてくれる職員が現れてくれることを
望んでいます

今年に入って、311に地震に会われた方が
県内で講演を開くという記事を地元広報誌で知りました。
そこに「俺はちょっとひっかかる言葉がある」と思い
記事にしました。
それは「被災地の今を知って」という話を
「被災地であるはずの我が茨城」でするということです。
その公演の記事が広報誌に載った当時
「被災地を忘れないで」って見出しだったから気になったわけです。
「忘れるはずがない」のにって思ってたのですが・・・

今日その開かれた講演の記事が広報誌に出ていました。
それによる現在陸前高田の職員である若者が
311当時茨城大学生で、帰省していて地震に会い
津波に流されやっとの思いで自宅の屋根に飛び乗ったと。
危ないところでしたね。

しかし、その話を同じように「津波が来た」茨城で
なにもすることはないだろうって思うんです。
茨城の人はわかっています。
この職員はインターネットで「防災無線が呼びかかけたところで
なぜすぐに逃げなかったのか?」という心無い書き込みがあったことに触れ、「どうか被災者を責めるような言動は慎んで」と言っています。

なら「被災したはずの茨城」で「まるで被災してなんかいないような心無い言動「被災地の今を知って」は慎んで」と言いたいんです。
「忘れらてた被災地」茨城では、「被災地」って言葉に
敏感かもしれませんよ。

なんどもここで発しているけど、「公務員」を毛嫌いしてるせいもあるからかもしれませんが、
公務員のこうした「ずれてる」発言にちょっとひっかかる俺です。
公務員がこうしたことをやるからいけないんです。
「ふれあい広場」みたいな、お役所的なネーミングのところで。

忘れられた被災地「茨城」はがんばりました。がんばってます。

お役所の言う「民間」の方が発言してたのならば全面支持できますけどね。


地震当時よく覚えているのですが
いち早く「被災地の天気」から消えた茨城は
「救援物資」も遅れていました。
やっと届き始めたのは4日後以降だったわけです。
しかし、その後の復興は早かった。
「自分たちで頑張るしかない」って
地震で道路が遮断され、「陸の孤島と化した」た当時思った俺ですが
県民の人もそう思い頑張ったのかもしれません。

「被災3県」ってネーミングはマスコミにやめてもらいたいですね